福島で感じたこと
2012年 08月 04日
福島県の浜通りの一番北の端にある町です。
震災前は常磐道で富岡まで行き、国道6号でずっと海沿いを北上できたのですが、
今は原発事故の影響でいわきから磐越道~東北道で福島まで行き、
山を越えて浜通りに出るというルートでしか行けません。
JRで行く場合も実家の最寄り駅の付近の常磐線は不通となっているため、代行バスを利用するしかありません。
国道の西側(山側)にある夫の実家では今回の震災で屋根の瓦が割れたのと、
壁のタイルが剥がれたくらいの被害で済みました。
原発事故の影響も今のところないようです。
国道の東側(海側)を見てきましたが津波の被害はやはり想像を絶するものでした。

家の基礎だけが残っていました。
数件家の形は残っていましたが、1階は窓ガラスが全く残っていませんでした。

基礎と土台をつなぐアンカーボルト。
どれほどの力がかかったのか・・・。

そして、浜通りから福島へ抜ける帰り道に相馬郡飯舘村を通ってきました。
原発事故の影響で全村が何らかの避難区域になっているところです。

こちらの風景にはもっと衝撃を受けました。
荒れ果てた田畑、カーテンを締め切った家々、人の気配のない町。
震災では大きな被害を受けずに済んだのに、
家や田畑、家畜を捨て、避難しなければならない状況・・・。
しかも東電の原発とは何の関係もない村だったのです。
何も考えずに福島の原発で作られた電気を使っていた自分。
責任の一端を感ぜずにはいられませんでした。
自分で考え、何か行動を起こさなければいけない・・・と切実に思いました。
そして、少ないエネルギーで快適に暮らせる家を造っていくことが設計者にとっての命題であると強く感じました。
(中村 聖子)
by jogikai | 2012-08-04 18:04 | Trackback | Comments(0)