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大平宿の事

お盆休み最後の週末に長野県飯田市の山奥で、「 大平建築塾」に参加してきました。
建築塾は1993年の保存再生工事に携わったメンバーが大平宿を見続けようと、
建築家の吉田桂二先生を中心に生活文化同人の主催で始まったもので、
毎年夏に開催され今年で18回目になります。
女性建築技術者の会からは今年も島田さん、大平さん、西岡の3人が参加しました。

飯田市街はこの猛暑で35℃でしたが、
山道を40分車で登った高原の大平宿では25℃。
夜は寒いくらいで束の間、山の清涼な気に癒されてきました。
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大平宿
村の歴史は古く、江戸時代に飯田藩により拓かれ、大正期には飯田から木曽谷へ降り
中央線で名古屋に行く旅人の茶屋宿として栄えたそうです。飯田線の開通で宿場としての使命は終わり、戦後は炭焼きを生業にする静かな山村に戻りました.

その炭焼きも石油に押され過疎化が進み、高度成長期まっただ中、万博の年1970年についに集団離村により、長い歴史を閉じました。
地元飯田市民による「大平をのこす会」や
東京在住の吉田桂二先生らの粘り強い保存運動の末、
飯田市、元住民の方々との連携で建物と環境が残されました。
板葺き石置き屋根の家がここまで多く残っている集落は他にないそうで、古民家研究上も貴重だそうです。
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離村時の住民の方に話を聞くと、古くは江戸時代から、新しくても大正期に住みついた家系がほとんどで、集団離村に至る辛い記憶も含めた、長い歴史の重みに都会暮らしの私は圧倒されます。

大平の何よりの魅力は、古民家を丸ごと一軒借りて、
囲炉裏、かまどに火を起こして生活体験ができる事です。
火をおこすのがひと苦労。一度つけた火は皆大事に使います。
囲炉裏の鍋の横で干魚を焼くなど、
むだなく火を使おうとすると、自然と火のまわりに人が集まってきます。大平宿の事_e0264942_1526542.jpg

現代の私たちが普通にしている、好きな時間にご飯を食べたり、風呂に入ったりする事は大平では手のかかる、とても贅沢な事だと思い知ります。




その他、屋根が壊れてないか、鍋に穴があいてないか、しょっちゅう家の内外を点検し、最善の状態に保っておかないと大平では暮らしが成り立たなくなります。
大工や水道屋などの専門家はいないので、なんでも自分たちでやらざるを得ません。
こういう暮らしは大災害にあった時にはさぞ心強い事だろうと思いました。
実際に、元住民の方に聞いたら
戦争中も山里の暮らしは何も変わらなかった、との事でした。

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大平のような過酷な環境では「気ままな単身暮らし」は命の危険にさらされます。集まって住み、一緒に食事をするのはごく当然の事だったのだと気がつきます。




電子レンジや冷蔵庫や全自動風呂を手に入れた現代の私たちは、一人でも安全に便利に生きていけます。助け合わなくても不安を感じない暮らしでは、
家族の存在や近所付き合いは、陰が薄くなって当然です。
でもかつての人間関係の濃さが、生きる糧になり苦しいときの力になる事を
3.11を経験して、私たちも気がつき始めています。




大平の暮らしに戻る事はできないけれど、
シンプルで豊かな暮らしの原点がここにある事は確かです。大平宿の事_e0264942_15303081.jpg
皆で3食を共にした私も家に帰れば、忙しく便利ないつもの暮らしに戻ります。








いろいろ考えさせられる3日間でした。




村を流れる生活用水(井戸っ川)は大雨でも渇水期でも
常に一定の水量が流れるように、すばらしい工夫がされています。
昔の人の工夫の跡を見に水源までウォーキングし、取水口の清掃をしました。
その他、周辺整備、障子の貼替えなども
民家宿泊の楽しい体験として毎年やっています。
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ルーマニアからの留学生のラルカさんも参加。
伐採体験で伐った木を運びます
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詳しい報告は「大平建築塾」を検索して下さい

(西岡麻里子)

by jogikai | 2012-08-25 16:22 | 出かける・帰る | Trackback | Comments(0)  

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