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一枚のスケッチを読み解く
























1932(昭和7)年に世田谷区野沢に建設された本多忠次邸は、スパニッシュ様式を基調にチューダー様式を加味した瀟洒な洋館ですが、その後愛知県岡崎市に移築復原され、現在は「博物館旧本多忠次邸」として開館しています。

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*博物館【旧本多忠次邸】(岡崎市・2012年)


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*洋風のお茶室 家具は建て主デザインのアールデコ調


この邸宅建築の魅力は、建て主の本多忠次氏が設計をはじめ建設に関わるすべてを手掛け、思いが込められた住まいであることです。そのため本多邸には建物だけでなく、住まいの基本構想や建設過程に関する史料、GHQ(連合国軍総司令部)による住宅接収に関する史料など、貴重な史料が多数遺されていました。

私は、移築時に全ての史料を考察し論文にまとめましたが、一枚のスケッチだけがなぜ描かれたのかわかりませんでした。

そのスケッチは、「センター設計図 本多忠承」と題した忠次氏自らが作成した図面で、片流れの傾斜屋根を持つ、わずか20坪の平屋建ての店舗付き住宅が描かれたものでした。間取り図によると、角地に位置する店舗の脇に6畳と4畳半の続き間座敷を、奥に4畳半の和室を設け、北側の裏手に台所、便所、浴室を設置したコンパクトな住まいとなっていました。東南側に店舗と居室を設け、北側に水回りを配置した間取りは、日照、通風が考慮され、極めて使いやすいものであることがわかります。また外観の意匠は、1948(昭和23)年に坂倉準三が設計した高島屋和歌山支店の外観を参考にしたのではないかと想像が膨らみます。

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*高島屋和歌山支店(1948年)


数年後報告書を作成することになり、改めてこのスケッチを見直し、再度ご家族への聞き取り調査を行ないました。その結果スケッチに描かれた住まいは、第二次世界大戦後、忠次氏が自邸をGHQに接収された間に住んでいた、仮住まいであったことが判明しました。

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*本多忠次氏直筆図面「センター設計図 本多忠承」 岡崎市美術博物館所蔵


忠次氏は、自邸を接収されるにあたり、住まい建設の経緯と建物の価値を文書にまとめ、「建物に手を加えることは極力避けてもらいたい」という旨の手紙をGHQに提出し、建物の保護を求めました。それが功をなしてか本多邸に居住したのは、GHQの総司令官マッカーサーの顧問弁護士で、忠次氏の意向を尊重して大きな改造は行わなかったことが語り継がれています。

このように住まいへの思い入れが強かった忠次氏は、接収後も敷地内の片隅に小さな家を建て、自邸を見守り続けました。このスケッチはその仮住まいのもので、描かれた図面をもとに実際に建設されていたことがわかりました。なお忠次氏は、店舗経営を考えてはいたが実行せず、接収が解かれたのちは借家として貸し出していたそうです。

一枚の遺されたスケッチを根気よく読み解くことで、長きに渡る住まいの記録がもうひとつ明らかになりました。 


文・写真 杉山経子 博士(工学)建築歴史・意匠 
杉山経子建築+デザイン研究室


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※『女性建築技術者の会(通称:女技会)』とは、建築に関連する様々な仕事を持つ
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by jogikai | 2022-08-15 07:00 | 歴史的建築物 | Trackback | Comments(0)  

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