古居みずえ監督 理不尽な状況にある人々に寄り添いその姿を伝えるためにカメラを回す人
2024年 08月 01日

古居みずえ監督
古居みずえ監督に初めてお目にかかった時、あんなに重い撮影カメラを持って、体は大丈夫・・・?
というのが第一印象でした。古居監督は37歳の時に歩行困難な病気にかかり、その後、奇跡的に回復し、パレスチナを支援するNGOの写真展を見たことが契機となって、「一度きりの人生、何とか表現したい!」という思いが募り、単身パレスチナに向かいました。
今から35年以上前のことです。その頃の自分のことを思い返してみると、住宅設計の仕事が中心で、パレスチナで起きていることにまで視野を広げて物事を考える力はありませんでした。
監督は違います。現地に向かい、そこで会った人、起こっていることを、写真と映像で捉えていきました。そして難民キャンプで出会ったガーダさんの姿を、12年後にドキュメンタリー映画「ガーダ パレスチナの詩」として制作しました。

しかし、その後イスラエルによるガザ地区への空爆が発生。その犠牲になった家族を取材して映画「ぼくたちは見た ガザ・サムニ家の子どもたち」を制作。全国的に自主上映会を展開しようと動き出した時に、東日本大震災(2011年3月11日)が起きました。
東京電力福島第一原子力発電所の事故で、そこから北西に直線距離で約40Km離れた「飯舘村」が全村避難地区に指定されました。古居監督は突然困難な状況に立ち向かわされた飯舘村の人たちがパレスチナの人達と重なり、震災後すぐに飯舘村に向かいました。

この地域は子牛を育てて市場に出す家が多く、監督のカメラは避難命令の中での牛飼いの家族の暮らしに寄り添うように淡々と日常を写し出しています。監督はカメラを片手に、時々話しかけながら・・・その人の思いを引き出していきます。
ドキュメンタリー的といえますが、そこに登場している一人一人の思いが伝わってくる映像です。パレスチナも飯舘村も古居監督を身近に感じられる映像です。
今後、一人でも多く監督の映画を見て頂きたいと願っております。
文:菊池邦子 一級建築士/(株)テリトプラン一級建築士事務所
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by jogikai | 2024-08-01 08:00 | 話す・聞く・見る | Trackback | Comments(0)