散歩・地域の宝
2023年 07月 01日
私の街は新座市の北の端で、半径2、5キロぐらいで志木市、所沢市、清瀬市、三芳町、富士見市につながります。その範囲でさまざまな「宝」を探そうと私たちは散歩を続けています。

また長年社会福祉に熱心な人たちと「障害があっても高齢者になっても、地域で共に暮らし、共につくる地域社会」をめざして活動しています。障害のある人が歩きやすい道の点検をしている中で、街をもっとよく見てみようと「散歩」が始まりました。車椅子の試乗体験も全員しています。参加者15人ぐらいで月2回、テーマを決めての散歩はもう2年以上続いています。
ほとんど高齢者で車椅子の人や杖を利用している人もいて、歩みはゆっくりですがおしゃべりをしながらの散歩は、体力作りになり地域を深く知るきっかけになりました。
農家の野菜直売所には必ず立ち寄り、ネギや大根などを背負って帰ってきます。歩数は13000歩~8000歩ぐらい。お休み所でトイレ休憩とコーヒータイム。
見慣れた風景も記録が残されています。

200年前の「女人講」のお堂は女性同士が集まる信仰の場で、安産祈願をしたり日常生活の情報交換の場で、講では月の出を待って拝み集う信仰が盛んでした。
馬頭観音には「鬼鹿毛伝説」が残っています。
江戸時代に秩父の小栗という人が愛馬「鬼鹿毛」に乗って道を急ぎ、大和田宿で馬に疲れが出て、松の木の根につまずき倒れました。しかし直ちに起き上がり主人を目的地まで届けたのですが、所用を終えた主人が鬼鹿毛を探しますが姿が見えません。帰路大和田宿まで戻ると、鬼鹿毛が死んでいました。主人の急を知り、霊となって走り続けたという伝説です。競馬関係の人たちがお詣りに来ているという話も聞いています。

やはり大和田にある普光明寺は、死者を埋葬する墓地と別の場所に墓を建てる両墓制でした。この風習が江戸時代初頭からあり、境内にある墓地には墓などの石塔を建て、集落から比較的離れた所に死者を埋葬していました。
火葬により消えつつある民俗風習のひとつです。
面白いものを見つけると声をかけ合います。かっぱがいたり、蛇がいたり、美味しいものに出会えたり、源頼家や芭蕉も子育て地蔵もそこにいます。

新河岸川と柳瀬川合流に住んでいるかっぱ
参加している人には
寿司屋のおかみさんは、出前もしていたので知らない道はないほど。
団子やのおばさんは、1日に2000個ものおにぎりを握っていました。
肉屋の夫婦のコロッケは、学校給食の人気メニューでした。
看護師さんや学校の先生だった人もいます。時には夜話で参加者の一人がゲストスピーカーになって、生い立ちや経験などを話されると、一斉に時代が戻り、同郷だったりすると一段と親しみも増します。今やみんな心強い仲間になりました。
文・写真 新見美枝子 新見建築設計室
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# by jogikai | 2023-07-01 08:00 | まちづくり(地域育て人育て) | Trackback | Comments(0)